責任問いたがり社会

最近では、広告表現にも厳しい世の中になってきた。

記憶に新しいのは、「からだ巡茶」のCM。
広末涼子が「ブラジャーが透けるほど汗をかいた最後っていつだろう?」とつぶやくのだけれど、そのセリフが一部の消費者から「不快」と指摘されて変更になった。
変更後のセリフは「こんなに汗をかいた最後っていつだろう」だそう。
つまらない。
変な意味じゃないけど、「ブラジャーが透ける」と表現されていたからよかったのだ変な意味じゃないけど。


一昔前には、エーザイのCMでの桃井かおりさんのひとこと「世の中、バカが多くて疲れません?」が物議をかもして同じくセリフ差し替えとなったけれど、それに比べればブラジャーなんてかわいいものだと思う。


インターネットによって可視化された「声」。

こういったクレームは増えてきていて、企業も慎重になっているよう。
「この表現だと、クレームがつく可能性があるので……」とコピーの変更を求められることも少なくない。
個人的観点では「ちょっと過敏すぎやしません?」と思ってしまうこともままある。

なんか、最近みんな、目立つ人や大企業に対して怒りっぽすぎるよね。
まあ、これが格差社会ってことなのか。
新聞社で読者投稿欄の原稿修正をしてた者ですが - くろいぬの矛盾メモ

うん。
大企業に政治家にマスコミに著名人。
いろんな人が毎日のように叩かれて、謝罪会見随時開催中ってな印象。
もちろん中には「謝罪くらいじゃ足りない!」ような悪さを働いた人もいるけれど。
それでも、近頃はバッシングの勢いが激しくなったと感じる。


上記エントリのブックマークコメントで、id:soybeanandkelpさんが

今まで埋もれていた怒りが、誰にも編集されないブログや掲示板によって可視化されてきてるだけだと思う。

と述べている。
たしかに。
インターネットの影響はとても大きいと思う。
ひとりの声が、二人三人と同志を得てどんどん加速していく。
さらにはそれがマスコミや大企業にも届き、無視できない世論として形になっていく。
でも、それを利用してむやみに「責任」を問うような形になっていないだろうか。


賞賛や信頼を伝える声ももっと注目されればいいのだけれど。


叩いているのは背信か、“出る杭”か。

バッシングのほか、モンスター・ペアレントをはじめとする身勝手な要求や暴力だとかも相まって、なんだかギスギスした社会になりはじめている。
(対個人では、あまりそんなふうに感じないのだけれど。)


でも悪いことばかりじゃないと思う。
たとえば食品偽装問題の糾弾によって食品関連企業の意識レベルも高まっていくだろうし、さまざまなサービスもより親切に、丁重になっていく。
もしかしたら、自動車や電化製品をはじめとするJAPANブランドは、こうして磨かれていくのかもしれない。
だけど…

実は、アメリカが凄いと思った面もあった。
確かに製品やサービスの質は低いのだが、それは中流のレベルが日本よりも低いからだ。

政策に携わる人間にせよ、企業の経営者にせよ、国のリーダーのレベルは日本よりはるかに高い。

日曜の晩だから官僚の俺が独り言を書いてみる - ハイエナログ

だけど、そういった消費者の“監視”は、もしかしたら中流のレベルしか作れないのかもしれない。
監視を気にしながら対応していくやり方では。
上記の言葉を読んで、そんなふうに思った。


僕たちは、間違った言動・行動を叩きながら、ときに「出る杭」まで叩いてしまっていないだろうか。
そんなふうに考えて、最近はあまり気安く批判するのは控えている。


何より、やっぱり他者には寛容でありたい。
厳しくするのは、自分に対してだけでいい。
僕はそう思う。