アタマの中の「見えない敵」。

人間の脳はとてもあいまい。勝手にいろんな補正をかけてしまう。

こないだ脳科学者の池谷さんの「進化しすぎた脳」を読み終えた。正直、文系人間の自分にはすんなりと読み進めることができなかったけれど、脳のあいまいさ、自由意志の境界などのテーマは、とても興味深く読むことができた。「海馬」にも書かれていたことだけれど、盲点って本当にあるんだ。盲点の部分は見えていないはずなのに、勝手に脳が都合よく補正をかけてしまう。これに限らず、人間の脳にはとてもあいまいな部分が多々あるらしい。(あいまいだからこそ、脳は正常に機能しているそうだけれど。)
●盲点の実験

「あちら側の人」という認識が、炎上を加速させる。

この盲点は、コミュニケーションにおいても発生すると、僕は考える。もう一冊、「空気のトリセツ」という本も同時に読んでいたのだけれど、その中でブログ炎上について書かれている章があった。なぜ、彼らああも集中的に非難されてしまうのか。それは、世間一般に「あちら側の人」と認識されているからだという。大企業、マスメディア、芸能人、スポーツ選手などなどだ。彼らが炎上に対してなすべきことは、ただただ真摯に心を込めて謝罪すること。そうすることで「こちら側の人」と認識される。ブログではないけれど、過去、山一證券が自主廃業する際、野澤社長は人目もはばからず泣きながら「責任は全て私たち(幹部)にあり、社員は悪くありませんから」と述べた。その謝罪は本当に心からの言葉と受けとられ、世間の目は変わり、社員たちの多くは無事再就職を果たすことができた。

誰かの過失によって炎上が起こったとき、非難されている人に反省の気持ちってのがあっても、もちろんそれを表明するまでは世間一般にはそれは見えない。盲点だ。その間、僕らは相手の気持ちを想像することしかできない。そして相手が「あちら側の人」、大企業や芸能人だった場合、僕らの脳はちょっと意地悪な補正をかけてしまう。「持ってる力が違うもの、経済レベルが違うもの、きっと僕らの風評なんてたいしたことないって思ってるに違いない!」って。そうした気持ちが炎上を加速させてしまう。

イヤな想像をしてしまう前に、一拍おいてかかわり合う。

はてブでも、大して当たり障りのない記事に「なんでこの人こんなに噛みついてるんだろ」って思うようなコメントを見かけることがある。彼らもきっと、脳内補正をかけている。そのエントリに自分の嫌いなタイプとの共通点を見つけただけで、敵認定してしまい、全力で攻撃しちゃう。待て待て待て、それはその人の一部分に過ぎないよーと声をかけたくなる。実際に会って語り合えば、大方は通じ合える相手。実像と異なる、自分の脳内に現れたステロタイプな敵人格を攻撃しているに過ぎないのだ。(もちろん相手の意図を充分読み取ったうえでの冷静な議論なら、大いにけっこうだと思う。)


そう考えると(僕も含め)、みんなアタマの中に「見えない敵」を飼っているように感じられる。ある程度は仕方ないと思うけど、でも相手を敵認定してしまう前にもう一拍おくことができれば、もっと穏やかでいられるんじゃないかしら。日常のコミュニケーションも同じ。「ギターにろくなヤツはいない」ってのもどうかと思うけど、暴力に訴える前に話し合えば、プロフを修正したかもしれない。タバコの煙を払われたらイヤな気持ちかもしれないけど、相手の鼻折る前に一言「あ、すみません」って火を消せば、相手も「あからさまだったかなー」って反省したかもしれない。早いよ、敵認定。敵多すぎて困るでしょ。
上司がきらいだー、親が理解してくれないー、友達が冷たいー、ってのを言う前にもっとかかわり合うことができれば、問題の大半は意外と解決してしまうんじゃなかろうかと思ったりするのです。


久しぶりに殴り書いた。
書いてから気づいたけど、これって平たく言うと「偏見」だよなー。